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おかげ様ブラザーズのVo、kinta minoのブログ。
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昨日はカメラを持って行ってなかったので写真が無い。
が、とんでもないリハーサルになった。

スマイリーがまだリハに参加できないのは仕方が無いが、リハーサルスタジオを押さえる担当の森松が、東京のバンドサポートの仕事とダブルブッキングしてやがった!しかし、そのことも事前に分かっていたことだし、とんでもない野郎だが(笑)、今日のとんでもなかった理由ではない。

とんでもなかったのはブラッキー岡部だ。


2年前の7月、俺がまだまったくバンドの復活などという恐れ多い構想を持っていなかった頃、MBSのVoice という報道番組のワンコーナーにプチドキュメンタリーの主人公として取り上げられた。内容はざっくり言うなら、一旗揚げようと和歌山を出た青年が夢だったミュージシャンとしてのプロデビューを果たし、それなりにがんばっていたが、挫折して和歌山に戻り、でも今は貧しいながらも有意義な毎日を送っています。と言うもの。ちなみに付け加えておくが、元来ドキュメンタリーとは、その『日常』の中にカメラクルーとディレクターが存在すると言う『非日常』的状況下でしか成立しない映像音声データである。なおかつ、映像の中にある中心的な者の作品ではなく、その映像の制作者の作品である。さらに制作者は常に客観であり続けることなどできるはずが無く、何らかの主観的演出は必然である。そのような多くのお約束的フィルタを経てドキュメンタリー映像と言うものは存在しているのであり、もちろん俺はそれを批難や否定しているんじゃない。前回のオンエアも、インタビューで話した内容のどこを使われるかによって若干の不快さはあったものの、ほぼ納得がいく作品だったし、担当ディレクターI氏の作品コンセプトがよく理解できた。
その同じディレクターが、今度は「再起をかけた復活ライブを決行するまで」を撮る為にまたビデオをまわしている。
昨日も朝から俺の自宅までわざわざ来て、俺がリハーサルに向かう車中で映像とインタビューを撮ると言うことで俺の車に乗り込んだ。午前11:00。

さて、ブラッキーのとんでもない話とどう繋がるのか全く分からないMBS Voiceのお話。
実は、この車中インタビューの最中に岡部から電話がかかってきた。
「朝からえげつない腰痛でさっき病院も行ってきたんですが、しばらく安静にしているようにとのことで、悪いけれど今日のリハには参加できません。』
あっちゃー…。
とにかく謝る岡部に「そんなこと気にせんと今日はゆっくりと養生してな」と言い残し、どうするべきか悩んだが、とりあえず金城に電話した。実は金城は機材の持ち込みの関係で少し早くスタジオに行くと言っていたので、中止するなら早く伝えてあげようと思ったからだ。時刻は多分11:20頃。
リハの予定は1時からだったのでさすがにまだどっかを走ってるだろうと思ったが、金城は既にスタジオに到着していた。後で分かったことだが、その日彼は自分のスタッフを連れてきていて、スタジオで色々とチェックしたいことがあったようで予定よりも大幅に到着を早めていた。
とりあえず事情を説明すると、じゃあ他のメンバーとも連絡をとってもらって、何らかの結論が出るまでセッティングはせずに待っていますということになった。
すぐに福井に電話した。奴も岡部を心配していたが、金城が既に到着していること、俺がディレクターを乗っけてどうせ大阪まで行かなければならないことを告げると、とりあえずスタジオに集まろうと言うことになった。折り返し金城に連絡し、とにかくセッティングも済ませておいて欲しいと伝えた。
金子には連絡しなかった。だって金子は連絡しなくてもスタジオに来るもんね。リハの日だし。
電話の内容で事情を察したであろう助手席のディレクターに改めて事のてん末を話した。
朝、和歌山の自宅でカメラを回してくれたカメラマンとは俺の自宅前で別れて、南港のスタジオには新たなカメラクルーが1時に到着することになっているらしい。

スタジオに到着すると、カメラクルーもメンバーも既に到着していた。
俺もこのリハで確認しておきたいことがたくさんあったので、どうしようかと思案した挙げ句、結局は楽曲の構成等の確認をすることを優先し、俺はドラムを叩くことになった。
そう言えば、手元にほとんど何も残していないおバカな俺と違って、ブラッキー岡部はすばらしく整理整頓が得意で、今回の復活ライブでの候補曲を挙げるとそれら全ての音源を一枚のCDにして全てのメンバーに郵送してくれていた。なので、俺のフラフラしたドラムのリズムでもなんとかそれぞれのメンバーの確認作業は進んだようだが、問題はMBSの撮影クルーだ。俺たちは彼等の存在を無視してリハーサルを始めた。ギターとパーカッション、おまけに俺がドラムを叩いているからボーカルが無い状態のリハをただ呆然と撮影し続ける(笑)。言っておくが俺たちはコミックバンドで、コミックソングのインストなどと言うものは聞いたことが無いし、つまらない。だから誰も笑わない。その状況がおかしくて俺だけがニヤニヤしながらドラムを叩いている。それを見つけたカメラマンが、俺が乗っていると勘違いしたのかレンズを近付けてきた。それがまたおかしくて『俺がドラム叩いてる映像撮ってもしゃあないやろ』と思いながカメラ目線で8ビートを刻んでやったぜ。
結局休憩を2回挿んで、一通り確認できたので、メンバーのインタビュー撮って5時には散会した。
その間に金子が岡部とも連絡をとって、しばらく安静にしてれば大丈夫ということもわかった。ドラマーの職業病ともいわれる腰痛だ、完治は難しいのだろうがうまく付合っていってもらいたいと思う。

そういえば、スタジオの扉というのは防音の為に二重扉になっていて、表には音が聞こえないようになっている。
リハの最中にそのガラスの向こうから覗き込んでいた青年が、目の上に手で影を作ってこっちを見たり外側のガラスに耳を押し付けて音を聞いていたりしてとてもおかしかった。その真正面にドラムセットがあって俺はずっとその青年と目を合わせたり耳がクチャっとガラスに引っ付いてるのを見てたんだ。俺たちは冬場のレオポンか。覗き込むな(笑)。

まあそんなことで、とんでもない1日となったわけだな。
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17f9226b.jpg先日、10月ライブ諸々打合せのため大阪に行った。
場所は今回制作を一手に引き受けてくれている後藤崇氏プロデューサーのオフィスである。今回のおかげ様ブラザーズ復活にあたっては、バックステージの取りまとめとして後藤崇氏氏に、メンバーサイドの取りまとめにTOY森松という布陣で挑んでいる。

後藤崇氏氏(名前が崇氏と書いてたかし、敬称の氏がかぶるので俺が誤植してるように見えるので以下は普段の呼び方『後藤』で)名前はバンドのサイトの BBSでも登場しているので記憶してる人も多いだろうが、一体何をする人かといえば、正式な職種は舞台監督である。奴は我々おかげ様ブラザーズのステージの制作を通してこの職業に触れ、今では関西ではちょっと有名な舞台監督になった。MBSの夏のイベント「オーサカキング」や、今年舞浜で行われる「サマーソニック07」も彼の仕事だ。
でもなにより我々おかげ様ブラザーズのファンのみんなにとっては、「ライブアルバムの初代ジャケットの泣き顔の男」と言ったほうがわかりやすいかもしれない。
ちなみに同じアングルで現在の奴の顔を撮ってみた。
それがこれだ!
ワン!トゥー!スリー!   

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どうだ!ヘムレンさんに似てるだろう。   
CDを持ってる人は是非見比べてみてくれ。三白眼度数は相変わらず高いが、当時よりふっくらとして幸せな生活の片鱗がうかがえる。
こんな面白い顔なのに仕事はできる男なのである。自慢話を聞いていると三日はかかる。最近飛ぶ鳥を落とす勢いのファンキーモンキーベイビーズの育ての親の一員でもある。
そして今回のバンド復活の際、俺がメンバーより先に相談したほど信頼している男である。
おまけに森松と仲が悪い(笑)。
後藤の写真を撮っているだけで「何打合せの途中で写真撮ってんねん!」と怒ってたのでパチリ。

68morimatsu.jpg
オーこわっ!










東京・大阪ともライブハウスが決定した。
しかし、チケット発売やイベンター等のからみで7月くらいまでは明かせない。
あんまり大きなライブハウスじゃないので大丈夫か心配だが、最悪はステージの上が幾分空いてるので最前列の人くらいは顔色を見て引き上げてあげよう(笑)。

それから、もっともっと色々楽しいことを考えているので時期が来たらバンドのサイトで少しずつ発表して行くから。
写真が残ったので貼付けておく。

695872bd.jpg68d8ee2a.jpgeccfe6aa.jpg











上の写真は「逆さ絵」の顔に似ている。ひーっくりかえすとおー。


7ddbe069.jpg








これは2年前に築100年の古民家をリフォームした我が家だ。
背後の山の勢いからも田舎度がわかるだろう。
ここで家族三人で暮らしている。
写真に俺の車が写ってるが、いつも手前のスペースにもう一台カミさんの車が停めてある。そしてそのスペースは物干し場でもある。リアルな写真で恐縮だがこんな感じである。

27ae7780jpeg








そこで、家の左端にある元農機具小屋(この家の元の持主が作ってあったもの)を解体してガレージを造ることにした。自分で。
田舎暮しというのは基本的にはまず何でも自分でやってみるところから始まるのだ。そして無理なら専門業者に依頼するという手順が正しい。

この家自体のリフォームも4ヵ月かかったが、空いてる時はほとんど自分も作業に参加した。手掛けてくれた大工は二人ともよく知っていたし年下だったので、色々と丁寧に教えてくれた。昔から日曜大工が好きだったので知識だけはあったのだが、このことがきっかけで電動工具なんかもプロユースなものを少しずつそろえた。俺は強烈なサウスポーなので、丸ノコ(電動の丸い刃が付いたノコギリ)なんかはそれ用が必要なため結構高くついた。サウスポーは何を始めても20〜30%高くつく。

0bbc5d1bjpegちょっと横道にそれるが、俺の常識の一つに『道具はその時の持ち合せで買える最高のグレードのものを手に入れろ』というのがある。もちろん楽器でも遊び道具でも何でもそうだが、ちゃんとしたものを使わないとちゃんとしていることがわからないのだ。ハンドブックやweb siteのガイドページを見てもそこに書いてあることが理解できる機能やグレードがある道具じゃないと、うまく行かない時自分のせいなのか道具のせいなのか解らなくなって楽しくないのだ。道具のグレードがしっかりしているとうまく行かないのはまず自分のせいだと認識できる。だから努力ができるんだ。おまけに高いお金を払っているから挫折のタイミングが明らかに違う。つまり喰い下がる理由の大きなポイントになる。そしてそこで失敗した時「自分に才能が無いんだ」という爽快感にも近い踏ん切りのつき方は、次の何かへのステップに大きく役立つ。
近所のガキがよく「ギター買いたいんやけどどんなんがいい?」などと訪ねて来る。俺は即座に「もう半年待ってそれでも欲しければ、それまでに貯めた全てのお金と親父がくれる購入代金を足して買える一番いいやつを購入しろ。」と教えている。子供の顔色でその瞬間に血圧と動悸が向上しているのがわかる。中には首がもげるんじゃないかと思うほど大きくうなずいて、鼻の穴を膨らまして帰って行く奴もいて頼もしい。

話を戻す。

7bf99024.jpgこれが自分で作ったガレージだ。まだ扉は付いていない。
土曜日と日曜日の二日間でやっつけようと思って始めたがここまでで五日間を要した。おかげで昼間やっていた仕事が夜中に回り、この間は平均3〜4時間の睡眠だったが、どうにか車を停めることができる状態までこぎつけた。
いわゆるトタン小屋なのだが、このトタンの張り方にもなるほどな技がある。写真を見て頂くと所々にクリアなトタンが張ってあるのがお解りだろうか。これはトタンが足りなかったからこうなっているのではない。俺も和歌山に帰ってきた頃にあちこちの農家にあるトタン小屋を見て「ああ農機具を置く程度の小屋だから材料もツギハギやなあ。」と思っていたのだがさにあらず、実は外からの明かりとりなのである。倉庫などならば夜以外はこれくらいの明るさで十分なのだ。知恵とは生活の中からこそ生まれる。
しかしこのような工夫や知恵はどのように伝播するのだろうか。地を這うが如く百姓から百姓に伝播して行ったのだろうか。

家の敷地は国道に面して細長く、このガレージが左の端でその隣に写真の離れが一棟、そしてリフォームした母屋があって、一番上の写真に写ってる俺の車の前が俺の仕事部屋を含めて3部屋の家屋が一棟、その横にはちょっと小高い畑があって、右端に少し大きな倉庫(物置き)が写真の通り建っている。

a7cc1214jpeg奥行きは無いのだが、幅はやたらと長いのだ。
畑では毎年夏場だけ夏野菜を作る。手間がかからず放っておいても育つからだ。ゴーヤやナーベラー(へちまのこと)キュウリに茄子にトマト、大葉にネギ、それからもはや雑草の如く広大に芽を吹くミント、空芯菜、などなど。

ガレージの話を書こうと思ったら、気が付けばこんなに長文になってしまった。

『おかげ様ブラザーズの素』になったこの田舎に帰ってきて10年が過ぎた。今後もできる限りここで暮らしたい。しかし、それが可能ならそうしたいという願望ではあるが、それができるかどうかはわからない。なんてバカっぽい46歳だろう。いっそ年齢をごまかしてみようか(笑)。
俺が面白いことだけをやりましょ。そして大阪ライブ前日に47歳になる俺は、バカっぽい47歳のままで君たちの前に現れることにする。

「子宮の中へ」の主人公はどんな47歳になっているんだろうか。
発表当時28歳だったあの男が、その後どんな人生を経てどんな奴になっているのだろうか。
今もお金も土地も家もいらないと叫べるのだろうか。
子宮の中に帰りたいと今も本気で考えているのだろうか。

ライブで会えると良いなあ。
先日の初リハーサルも、スマイリーも欠けてるし楽曲も忘れてるし(笑)そんなに万全で過ごしているわけじゃないけれど、日々充実感と根拠の無い成功の確信が強まっている今日この頃だ。別にヤケになっているわけではないんだよ。ほんとうにそう思うんだから仕方が無い。


ただ、この十年間は一般人(別に以前が特別だったわけじゃないけれど)として生きてたから、スイッチのオンとオフをそんなに頻繁に切り替えることが無かったわけで、その折のエネルギー消費が思いのほか多いことに気付く。そしてなにより和歌山ではもちろんオフのまま生活しているわけで、人付き合いなんかも人並みにこなしているのでそのバランスも中々保つのは大変だ。

時にはイメージが脳内にわき上がってきて、気付かないうちにオンになってることがあって、田舎の知人に「なんかボーっとしてるなあ最近。」とか、「さっき車で出会ったのに無視やったなあ。」などと言われると返答に困ってしまう。周りからそう見えるだろうが俺の脳みそはフル回転しているわけで、それを説明することは面倒くさいし難しいので、「最近血圧がちょっと高くって。」みたいなことで茶を濁している。

それでもなんとなく事情を知ってる奴もいるわけで、これは余計に対応に手間がかかる。なにしろオフの時の俺しか知らないくせに「サイト見たぞ。また音楽するんか?」とか「復活するんか。また見に行くわ!」などと訳知り顔で言われても余計困ってしまう。『また見に来るってお前見たこと無いやんか。事情を知ってるのなら温かくそっとしておいてくれ。』こんなこと言えるはずも無く(笑)、「ハハハ…おう、来いよ。へへへ…。」

たぶん本当に幾人かは来てくれるだろう。それはうれしいことなんだけれど、ええ大人になってから法事かなんかで親戚のおっさんに何年ぶりかであった時「こいつのオムツ換えたったんやーがははは。ちんこ大きなったか。がははは!」と言われた時のようなどうしょうもない取繕い笑顔を俺はステージで見せるわけにはいかないのだ。

てなことを言いながらも、明日(もう今日か)の朝は8時から町内一斉清掃に参加しなければ。

班に入ってるから仕方がないよ だってむらびとだもの (相田みつを風)
IMG_0175.jpg











鏡に向かってフラッシュをたくとこうなるんやね。

南港のリハーサルスタジオは思いのほか広く快適だった。
森松の知り合いが経営するスタジオなので、段取りは全て彼がつけてくれた。

all-member1.jpgブラッキーはスタジオのドラムで、福井はスタジオのベースアンプで、俺や鉄心ちゃんはマイクを使うだけなのでもちろんスタジオの器機で。
さて残りの二人森松と金城は全ての機材が持ち込みになる。まず森松はスタジオにパーカッションが用意されているところなんかほとんどないから毎回当然の如く自分の楽器を搬入しているんだが、楽器の設営と撤収でどうしても1時間はかかってしまう。
俺はそれを眺めていて「毎回は大変なことだぜ。」とあらためてその労力に敬服した。自分がパーカッショニストならめげてしまって「ははは…今回はボンゴだけで表現してみようかな、あはあはあは…。」てなことで茶を濁すに違いなく、そんなだからパーカッショニストじゃないわけで、一応はリーダーでボーカリストという大義名分をちらつかせながら、真面目くさった顔で歌詞カードなんかを覗き込んでいる。
しかしその難しい顔で覗き込んでる歌詞カードに書かれている内容は「坊さんが屁をこいた」だの「鉄心音頭でつるりこしゃんしゃんしゃん」だのである。なんじゃ「つるりこしゃんしゃんしゃん」って。

おっと自分の事書いてたら今日の主人公の話を忘れるところだった。
今日の主役はストロング金城である。

kinjyo.jpg








この男、きゃしゃな風体に似合わず中々に無骨なのである。
写真のようにセッティングされたハードウェア群は11年前のそのまんまのスタイルを固持している。それはただのこだわりなどと言う生温いものではなく、今回数十万円を新たに投じて当時のセッティングを完璧なまでに再現しつくしたその裏には、「頭ではなく身体が楽曲を覚えている」という一子相伝心技体金城流鍵盤打奏奥義継承者としてのプライドが見え隠れする。
現にメンバーの誰一人として思い出すことができなかったある楽曲のエンディングを、実際にプレイしていざエンディングに突入した瞬間には自然に身体が思い出し他のメンバーを見事に楽曲の終演へと導いたのである。その光景たるや白馬に乗った玄奘三蔵が悟空・八戒・悟浄とともに金色に輝く天竺の山門をくぐり行く西遊記の巻末の如き神々しさだった。


さらに注目すべきは、そのハードウェア群の中でもひと際異彩を放つ木目調の鍵盤がある。このキーボードもビジュアル的に相当インパクトがあるのだが、今回はあえてその木目調鍵盤の木製ケースに着目してみたい。写真に収めたつもりだったがなぜか写っていなかったので文章で解説するが、木箱に漆黒のビニール製フェイクレザーが貼付けられてあるのだが、角と言う角はすべてそのフェイクレザーは破れ、下地の木が見えている。あらゆるヒンジがゆるいため全体的に自由な方向にクニャクニャする。さらに把っ手のネジも片方とれているのでそれを握って持ち上げることはできず、必然的に犬や猫をかかえるように両腕で持ち上げて運ばなければならないが、両腕の中でクニャクニャする。

さらにはホワイトマジックインキで「トミーとミーノ&かねてつおかげ様ブラザーズ」と書かれてあり、さらにその下には「ティーチャー森島」の文字が。上記は俺がまだ21才で初めてこのバンドを立ち上げた時のバンド名であり、下記の「ティーチャー森島」とは、その結成当初のキーボーディストのステージネームである。ちなみにこの人はスマイリーの同級生で本名は森島などではなかった。たしか鈴木だったと思う。
つまり、このキーボードは「おかげ様ブラザーズ」結成から25年、プレイヤーは変われどもバンドとともに歩んできたわけで、今は持主の金城よりも長くバンドにいることになる。
ということで今回の主人公「ティーチャー森島のキーボードケース」の話はここまでにする。

さて、リハーサル当日の話を少し。
今回の復活ライブまでのリハーサルはもちろんスマイリー以外のメンバーが関西にいるので関西エリアでのリハーサルになる。さらにスマイリーは今とてつも無く忙しく、なかなか全員そろってのリハーサルは難しい。正直スマイリーがいないリハーサルなど以前には一度も経験したことが無く、俺がいなくてもリハーサルは行われていたが、スマイリーがいないリハーサルなど皆無だった。それは彼がコンポーザーでありアレンジャーでありバンドマスターであったからだ。
そんな状況ではあるのだが、俺は至って悠然としている。それはきっと頭の中ではスマイリーのギターがなっているからだろう。
彼にリハーサルの音をCDに焼いて送った。当分はこんなやり取りで進めて行く。
その他のメンバーも至って頼もしい。

純粋に結論。

やっぱり音楽はステキだ。

そして俺はやっぱり音の中にいるのが好きだ。

そのことを解るのに11年は、時間を使い過ぎたぜ!
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自己紹介:
伝説のコミックバンド『おかげ様ブラザーズ』のリーダー&ヴォーカル。バンド復活に伴い当blog open。
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