おかげ様ブラザーズのVo、kinta minoのブログ。
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昨日車の中で「プレリュード 85'」を聞いていたらいきなりフラッシュバックを起こして、大学の学生会館でリハーサルをしている光景が現れた。といってももちろん現実に現れたりはしないから、脳の記憶映像として現れたと言うのか、運転は普通にできていたし記憶もちゃんとある。そして何よりもそれが実際に過去にあった事実かどうかは分からないがやたらとリアルで、話し声なんかも頭の中で聞こえていた。
スマイリーが話している。俺を詰問しているようだ。要約すれば、せっかくきれいなバラードを書いてきたのになぜサビの歌詞が「坊さんがへをこいた」なのかということ。
スマイリーとは学校が違ったが、同じ学生マンションにクラブの先輩たちがいて、そんな先輩たちを介して知り合った。スマイリーは俺より一年先輩だったのでもちろん敬語で話していた。これはお互いに30過ぎるくらいまでは続いていたと思う。今はもちろん敬語では話さないけれど尊敬していないわけじゃない。どちらかというと木村拓哉風にいうなら今でもリスペクトしている。古いか。
さてここでヒストリーについて少し話さないと、フラッシュバックの出来事がうまく伝わらないかもしれないので、横道に大きくそれるが、まっ、ちゃんと元に戻ってくるのでここはストーリーテラーの俺に身を委ねて欲しい。あっ、長くなるから風呂がまだの人は先に入って きなさい。この行でこのまま待ってるから。もう準備のできてる人はちょっと待ってあげてくれ。みんなで読んだ方が楽しいから。
………………………………………………………………………………………………………………………
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待ってる人たち退屈やね。
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なんか話しておこうか。
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あのね、バンド名だけど、俺の中で「かねてつおかげ様ブラザーズ」以外に後2つ考えていたんだ。一つは「ホルモンキング」、もう一つは「よろずや萬年バン ク」、どれも別に意味は無いけれど、どれだってきっと同じくらいの知名度にはなっていたと思うと「ホルモンキング」にしなくてほんとによかったと思ってい る。かねてつのそもそもの由来は…
えっ?
あっもう出たの?
カラスの行水やね。じゃあもうここまで読んでるってことは話に追い付いたわけね?はいはい。
じゃあみんな、お待たせしました。話の続きへと戻します。
その頃、スマイリーがリーダーだったフュージョンバンド「他力本願」は「カシオペア」や「スクエア」なんかのコピーをしながら既にオリジナル曲も数曲持っていて、俺から見ると中々できる人たちだった。当時俺はドラマーとしてミュージシャンの道を目指していたが、遊びでやっていたコミックフォークデュオ「トミーとミーノ」も学校ではわりと有名なカウンターカルチャユニットだった。俺には学生運動の経験など無いし興味も無かったが、学校の体制なんかを茶化したり冷やかした歌詞の歌を、当時かすかに残っていた学生運動家の先輩たちが喜ぶもんだから、いい気になって歌ったりしていた。
ある日スマイリーが「トミーとミーノ面白いからバックバンドしてあげるよ。」というのですぐさま承諾した。というのも俺の先輩で、ずっとチキンジョージでブッキングマネージャをしていて現在は神戸ウィンターランドを運営している橋川氏から、「梅田バラードという新しいライブハウスで「浪速エクスプレス」の前座をやらないか」という話をもらっていた矢先だったからだ。当時は橋川氏もその梅田バラードでブッキングの仕事を始めたばかりで、要する最近面白いと噂になっている後輩たちに、「なんか面白いことやれっ」ちゅうことだった。
当日俺たちはステージの前面で出番の直前にお香を焚いて叱られ、「仏門に入る為に坊主にします。」とステージ上でトミーの断髪式を執り行って叱られ散々だったが、約300人満員に入った客からは大きな拍手と笑い声をもらった。たしかそんなステージを都合二度行い、その度に「解散ライブ」と銘打って解散していた。なぜなら、俺はプロのドラマーになりたかったし、第一「トミーとミーノ&かねてつおかげ様ブラザーズ」ではメインでわずかに2曲歌うだけで、後はコーラス少し、ほとんどは横で無責任に踊りながらステージの仕掛けのきっかけや大道具を担当していた。ステージで弁当を食ったことだってある。その頃の名残は信心のスマイリーのギターソロのバックの大扇子だとかに残っていた。つまりは歌なんかほとんどトミーに任せて、ステージの上で遊んでいたのだ。トミー脱退後その役目は金子が引き継ぐことになる。
その後、俺は「他力本願」の2代目ドラマーとして採用され、「トミーとミーノ&かねてつおかげ様ブラザーズ」の時はドラマーだけが代わっていたが、ニーズが増えるにつけ徐々に「トミーとミーノ」に比重は移行して行った。
今までの話は大体1980年前後だと思う。
今回のフラッシュバックした時代は曲のタイトルからも分かると思うが、1985年以前だろう。
当時はまだ俺が通っていた大学の学生会館で、とうに在籍していないのに先輩面して練習していた。
お待たせした。話を元に戻そう。
場所は花園大学学生会館ホール。
スマイリーが言う。「なんでこのメロディにこの歌詞なわけ?」
「そのほうが面白いからです。」俺。
「きれいなメロディーだと思うんだけどなー。普通にやっても。」
「めちゃくちゃきれいなええ歌やと思います。でもこのバンドはコミックバンドなので、面白くないとだめです。なので岡崎さん(スマイリーの名字)や他のメンバーはきれいな荘厳なバラードとして最後まで演奏して下さい。俺も最後の最後まで熱唱します。見ている人が感動して涙を流すほどに熱唱します。すごいでしょ?その歌詞が『坊さんがへをこいた』なんですから。」
「それはわかるけど。面白いかなあ。」
「絶対面白いです。面白くってかっこいいです。とにかく俺が思うようにやって下さい。絶対受けるから。」
こんな内容だったかも定かじゃないし、年代的に考えてももうトミーはいないし、学生会館でのリハーサルはあきらかに時代が違う。
でもその場所での映像だしメンバーも当時のメンバーで、床の汚れ具合や、ミリンダのボロボロの自動販売機や、壊れたブルーのプラスチックベンチや、独特のロゴで書かれた『三里塚に蜂起せよ』だののアジビラが張られた柱まで映像として脳内で上映されている。
また場面は変わって、
「キンタが面白いと思うことと僕が面白いことは別だから、リハーサルでやっててもピンと来ないことがあるのよ。」スマイリーが笑顔で話してる。
「でもステージでやってみるとお客さんが笑うのよ。それで『ああ、やっぱりキンタの考えたことで客が笑ってるんや』っていうことで納得できることが多いかな。」スマイリーが笑ってる。
「俺が考えたことで受けへんかったら、それは客が悪いです。」そういえばこの頃の俺は恐ろしく自信があった。というか、そうやって常にテンションをあげていないと不安だったんだろうと今は思う。お笑いでも音楽でも人前で演じることは何でも、受けないのは100%己が悪い。昔からそんなことは知っている。ただ俺はそれを認めてしまうとそこで終わってしまうんじゃないかと言う恐怖と常に向い合わせになっていたから、そう言って逃げてたんだろうなあ。きっと。
他にも色々だいたい1時間ほど、そんなフラッシュバックと現実とが同時に成立した。そしてほとんど全てスマイリーとの出来事ばっかり。なんなんだろうか。
よくよく考えてみると、俺のミュージシャンとしての歴史のほとんどが彼と一緒だったのだ。だから今回だって本当の本当は一番一緒にいて欲しいのだ。
そうだ!俺はスマイリーが好きなのだ。一緒にいたいのだ。そして色々相談したいのだ。でも現実的には彼は一番最後に現れるのだ。
もちろん他のメンバーもみんな必要だけど、今はリハーサルやミーティングで一緒にいることができるから不安じゃないんだと思う。
後半のリハーサルで合流した時、彼は厳しくダメ出しをして俺を叱ってくれるだろうか。泣きそうになった俺の頭をそっと胸に抱いてくれるだろうか。
そして優しくキスしてくれるだろうか。あ〜逢いたい逢いたい逢いたい逢いたい。
下着を新しいのに買い替えないと…。
お客さんは俺がネコでスマイリーがタチだったというオチに満足してくれるだろうか。
それよりもこれを真に受けてしまう人がどれほどいるのだろうか。
それよりなによりスマイリーが真に受けてしまったら、リハーサルに来てくれるだろうか。
ブラッキーはこれを読んで潰瘍が悪化しないだろうか。
福井は焼きもちを焼かないだろうか。
金子も新しい下着を買わないだろうか。
金城はステージ衣装をランニングと短パンにすると言わないだろうか。
森松は後藤と仲直りできるだろうか。
心配はつきない。
でもまじで、スマイリーじゃなくって岡崎さんにいろんなことを相談したいぜ(笑)。後輩として。
スマイリーが話している。俺を詰問しているようだ。要約すれば、せっかくきれいなバラードを書いてきたのになぜサビの歌詞が「坊さんがへをこいた」なのかということ。
スマイリーとは学校が違ったが、同じ学生マンションにクラブの先輩たちがいて、そんな先輩たちを介して知り合った。スマイリーは俺より一年先輩だったのでもちろん敬語で話していた。これはお互いに30過ぎるくらいまでは続いていたと思う。今はもちろん敬語では話さないけれど尊敬していないわけじゃない。どちらかというと木村拓哉風にいうなら今でもリスペクトしている。古いか。
さてここでヒストリーについて少し話さないと、フラッシュバックの出来事がうまく伝わらないかもしれないので、横道に大きくそれるが、まっ、ちゃんと元に戻ってくるのでここはストーリーテラーの俺に身を委ねて欲しい。あっ、長くなるから風呂がまだの人は先に入って きなさい。この行でこのまま待ってるから。もう準備のできてる人はちょっと待ってあげてくれ。みんなで読んだ方が楽しいから。
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待ってる人たち退屈やね。
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なんか話しておこうか。
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あのね、バンド名だけど、俺の中で「かねてつおかげ様ブラザーズ」以外に後2つ考えていたんだ。一つは「ホルモンキング」、もう一つは「よろずや萬年バン ク」、どれも別に意味は無いけれど、どれだってきっと同じくらいの知名度にはなっていたと思うと「ホルモンキング」にしなくてほんとによかったと思ってい る。かねてつのそもそもの由来は…
えっ?
あっもう出たの?
カラスの行水やね。じゃあもうここまで読んでるってことは話に追い付いたわけね?はいはい。
じゃあみんな、お待たせしました。話の続きへと戻します。
その頃、スマイリーがリーダーだったフュージョンバンド「他力本願」は「カシオペア」や「スクエア」なんかのコピーをしながら既にオリジナル曲も数曲持っていて、俺から見ると中々できる人たちだった。当時俺はドラマーとしてミュージシャンの道を目指していたが、遊びでやっていたコミックフォークデュオ「トミーとミーノ」も学校ではわりと有名なカウンターカルチャユニットだった。俺には学生運動の経験など無いし興味も無かったが、学校の体制なんかを茶化したり冷やかした歌詞の歌を、当時かすかに残っていた学生運動家の先輩たちが喜ぶもんだから、いい気になって歌ったりしていた。
ある日スマイリーが「トミーとミーノ面白いからバックバンドしてあげるよ。」というのですぐさま承諾した。というのも俺の先輩で、ずっとチキンジョージでブッキングマネージャをしていて現在は神戸ウィンターランドを運営している橋川氏から、「梅田バラードという新しいライブハウスで「浪速エクスプレス」の前座をやらないか」という話をもらっていた矢先だったからだ。当時は橋川氏もその梅田バラードでブッキングの仕事を始めたばかりで、要する最近面白いと噂になっている後輩たちに、「なんか面白いことやれっ」ちゅうことだった。
当日俺たちはステージの前面で出番の直前にお香を焚いて叱られ、「仏門に入る為に坊主にします。」とステージ上でトミーの断髪式を執り行って叱られ散々だったが、約300人満員に入った客からは大きな拍手と笑い声をもらった。たしかそんなステージを都合二度行い、その度に「解散ライブ」と銘打って解散していた。なぜなら、俺はプロのドラマーになりたかったし、第一「トミーとミーノ&かねてつおかげ様ブラザーズ」ではメインでわずかに2曲歌うだけで、後はコーラス少し、ほとんどは横で無責任に踊りながらステージの仕掛けのきっかけや大道具を担当していた。ステージで弁当を食ったことだってある。その頃の名残は信心のスマイリーのギターソロのバックの大扇子だとかに残っていた。つまりは歌なんかほとんどトミーに任せて、ステージの上で遊んでいたのだ。トミー脱退後その役目は金子が引き継ぐことになる。
その後、俺は「他力本願」の2代目ドラマーとして採用され、「トミーとミーノ&かねてつおかげ様ブラザーズ」の時はドラマーだけが代わっていたが、ニーズが増えるにつけ徐々に「トミーとミーノ」に比重は移行して行った。
今までの話は大体1980年前後だと思う。
今回のフラッシュバックした時代は曲のタイトルからも分かると思うが、1985年以前だろう。
当時はまだ俺が通っていた大学の学生会館で、とうに在籍していないのに先輩面して練習していた。
お待たせした。話を元に戻そう。
場所は花園大学学生会館ホール。
スマイリーが言う。「なんでこのメロディにこの歌詞なわけ?」
「そのほうが面白いからです。」俺。
「きれいなメロディーだと思うんだけどなー。普通にやっても。」
「めちゃくちゃきれいなええ歌やと思います。でもこのバンドはコミックバンドなので、面白くないとだめです。なので岡崎さん(スマイリーの名字)や他のメンバーはきれいな荘厳なバラードとして最後まで演奏して下さい。俺も最後の最後まで熱唱します。見ている人が感動して涙を流すほどに熱唱します。すごいでしょ?その歌詞が『坊さんがへをこいた』なんですから。」
「それはわかるけど。面白いかなあ。」
「絶対面白いです。面白くってかっこいいです。とにかく俺が思うようにやって下さい。絶対受けるから。」
こんな内容だったかも定かじゃないし、年代的に考えてももうトミーはいないし、学生会館でのリハーサルはあきらかに時代が違う。
でもその場所での映像だしメンバーも当時のメンバーで、床の汚れ具合や、ミリンダのボロボロの自動販売機や、壊れたブルーのプラスチックベンチや、独特のロゴで書かれた『三里塚に蜂起せよ』だののアジビラが張られた柱まで映像として脳内で上映されている。
また場面は変わって、
「キンタが面白いと思うことと僕が面白いことは別だから、リハーサルでやっててもピンと来ないことがあるのよ。」スマイリーが笑顔で話してる。
「でもステージでやってみるとお客さんが笑うのよ。それで『ああ、やっぱりキンタの考えたことで客が笑ってるんや』っていうことで納得できることが多いかな。」スマイリーが笑ってる。
「俺が考えたことで受けへんかったら、それは客が悪いです。」そういえばこの頃の俺は恐ろしく自信があった。というか、そうやって常にテンションをあげていないと不安だったんだろうと今は思う。お笑いでも音楽でも人前で演じることは何でも、受けないのは100%己が悪い。昔からそんなことは知っている。ただ俺はそれを認めてしまうとそこで終わってしまうんじゃないかと言う恐怖と常に向い合わせになっていたから、そう言って逃げてたんだろうなあ。きっと。
他にも色々だいたい1時間ほど、そんなフラッシュバックと現実とが同時に成立した。そしてほとんど全てスマイリーとの出来事ばっかり。なんなんだろうか。
よくよく考えてみると、俺のミュージシャンとしての歴史のほとんどが彼と一緒だったのだ。だから今回だって本当の本当は一番一緒にいて欲しいのだ。
そうだ!俺はスマイリーが好きなのだ。一緒にいたいのだ。そして色々相談したいのだ。でも現実的には彼は一番最後に現れるのだ。
もちろん他のメンバーもみんな必要だけど、今はリハーサルやミーティングで一緒にいることができるから不安じゃないんだと思う。
後半のリハーサルで合流した時、彼は厳しくダメ出しをして俺を叱ってくれるだろうか。泣きそうになった俺の頭をそっと胸に抱いてくれるだろうか。
そして優しくキスしてくれるだろうか。あ〜逢いたい逢いたい逢いたい逢いたい。
下着を新しいのに買い替えないと…。
お客さんは俺がネコでスマイリーがタチだったというオチに満足してくれるだろうか。
それよりもこれを真に受けてしまう人がどれほどいるのだろうか。
それよりなによりスマイリーが真に受けてしまったら、リハーサルに来てくれるだろうか。
ブラッキーはこれを読んで潰瘍が悪化しないだろうか。
福井は焼きもちを焼かないだろうか。
金子も新しい下着を買わないだろうか。
金城はステージ衣装をランニングと短パンにすると言わないだろうか。
森松は後藤と仲直りできるだろうか。
心配はつきない。
でもまじで、スマイリーじゃなくって岡崎さんにいろんなことを相談したいぜ(笑)。後輩として。
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伝説のコミックバンド『おかげ様ブラザーズ』のリーダー&ヴォーカル。バンド復活に伴い当blog open。
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